まちゃつの徒然日記

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さびしい秋

我々日本人が秋をさびしく感じるようになるのは、10世紀初頭に成立する『古今和歌集』以後のこと。8世紀に成立した『万葉集』にも秋の悲しさを歌った作品があるが、秋萩の美しさや紅葉をかざす喜びを歌ったものが圧倒的に多いという。池田弥三郎(元慶大教授1914(大正3)年12/21〜1982(昭和57)年7/5)著『日本故事物語』に教えてもらった。池田青年は、慶応に入学して折口信夫に師事。折口信夫は、和歌の世界では釈迢空と同一人物。府立第五中学校(現T王寺高校)出身だが、大の母校嫌い。卒業試験の英語、物理、幾何、三角で落第し留年の憂き目をみたのが理由らしい。校歌の作詞を頼まれても固辞し続けた。話は元に戻って『古今和歌集』秋の部巻頭。秋が来たことに対する驚きの名歌で始まる。
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行
川風の涼しくもあるかうちよする浪とともにや秋はたつらむ(紀貫之
(略)17首目からは、確かに「かなし」が連続する。
おほかたの秋くるからに我が身こそかなしきものと思ひ知りぬれ(詠人知らず)
我がためにくる秋にしもあらなくに虫の声聞けばまづぞかなしき(詠人知らず)
ものごとに秋ぞかなしきもみぢつつうつろひゆくをかぎりと思へば(詠人知らず)
(略)25首目によく知られた和歌。
月見ればちぢにものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど(大江千里
池田教授一番のお気に入りは、16首目。
木の間より洩り来る月の光(かげ)見れば心づくしの秋は来にけり(詠人知らず)
「心をつくす秋」とか「心をつくさする秋」と言わずに、「心づくしの秋」と熟した言い方をしているところが評価のポイントだという。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『加奈子がいたら…(カナコガイタラ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:気楽でくつろげる。