まちゃつの徒然日記

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或大福長者の(5)

吉田兼好著『徒然草』二百十七段から。
長い前置きがあり、ようやく兼好法師のコメントの登場となる。
「さて、人が財を求めるのは、願いを成し遂げるためである。銭を財産として尊重するのも銭が願いを叶えてくれるからである。ところが、上記の大金持ちの意見に従うと、願いがあっても叶えず、銭があっても使わないから、貧乏人とちっとも変わらない。何の楽しみもない。こうしてみると、大金持ちの決めた法則は、ただ欲望を断って、貧苦に甘んじ、これを心配してはならない、という意味に理解できる。欲望を成し遂げて楽しみとするよりは、財のない方がましであろう。例えて言うなら、世俗の欲望を持つ者は、癰(よう:うなじ、背、顔などにできる、悪性の腫れ物。皮下組織に生じる急性化膿性炎症)や疽(そ:筋骨を腐らす、悪性の腫れ物)を病む者と同じである。そんな病人が患部を水で洗って冷やし、楽しみとするよりは、病まずにいることの方がましであろう。こうなっては、貧と富とは区別がない。究竟(くきょう)と理即(りそく)とは、両極端にあってかけ離れているのに、実は等しい。大欲と無欲とは、正反対のようでありながら、実は似ているのである」
究竟:天台宗で、凡夫から成仏まで6階級ある位の最高位。
理即:凡夫の位。成仏の理を備えるだけの者。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『四志士、予報(シシシヨホウ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:登記、供託の手続きを代行。