まちゃつの徒然日記

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天保新改攝州大阪全図(3)

地図が発刊された1837(天保8)年、町奉行所の与力、大塩平八郎が挙兵している。天保4年から続く冷害と洪水で飢饉が全国に波及。急騰する米価。大阪でも連日餓死者が続出する有り様。窮民救済に乗り出さない幕府に業を煮やしての行動だったという。中之島東端を眺めると、仙台、成羽(岡山県高梁市にあった1万2千石の小藩)、庄内の各藩が蔵屋敷を構えている。現在は、東洋陶磁美術館や中央公会堂のある辺りである。当時の呼び名は「新地」。更に70年遡る明和年間(1764〜1772)に築地となったらしい。図書館や市役所の位置を占めていたのは、館林、福井、赤穂、唐津の各藩。中でも館林藩(群馬南部にあった7万石の中藩。文福茶釜で知られる茂林寺の所在地)の藩邸が一番広い。市役所の西向かいは、水戸、島原、金沢、松山の各藩に割り当てられている。水戸だけは「藩」ではなく、「殿」の表記。商人も御三家を特別視していたことが伺える。21世紀初頭の主は、日本銀行大阪支店である。


   宝くじ
   当たれば気分は
   T郎様


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『黒石が暇だ(クロイシガヒマダ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:旧広島高師。