まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

初瀬に詣でて

杉本苑子氏による現代語訳で味わう『枕草子』三百八段。
想像される澄まし屋ではなく、怒り狂う寸前の少納言が描かれる。教科書にはこういった段も掲載すべきだろう。居合わせた庶民に対する感情もストレートに表現されている。罵倒しても、文盲の庶民に知られる可能性はゼロ。たとえ暴露されたとしても、何の問題も生じなかったに違いない。千年が経過。貴族制度は消滅。「貧民ども」が主権者と知ったら、和漢の学に通じた才女も卒倒を免れないか?
「初瀬寺(長谷寺の古称)に詣でてお籠もりしたことがあったが、すぐそばにうす汚い下衆男(げすおとこ)どもが貴人のやり方をまねて、うしろへ長く裾を引いて居並んでいたのは片腹いたかった。せっかく信心を起こしてお参りしたのに、初瀬の里というところは川瀬の音が恐ろしく、登廊(とうろう)と呼ばれる階段状の長廊下を登るあいだも、なみなみならず苦労して、いつになったら本堂に行きつくのかと心細くさえなった。精出して歩いて、早くご本尊を拝みたいと焦るのに、粗末な白衣の法師や蓑虫さながらボロをまとった貧民どもが、さっさとこちらを追いぬいてゆき、やっとの思いで本堂にたどりついてみると、すでに観音様の御前にびっしり集まって、立ったり座ったり礼拝したり、傍若無人に振る舞っている。腹がたってたまらず、背後から一人一人、突き倒してやりたいとさえ思ったが、まあ、どこでも下衆下臈(げすげろう)などという者は、礼儀知らずにできあがっているのだろう。やんごとないお方がお籠もりあそばす局の前は、さすがに人払いをするけれども、ほどほどの身分の人だと制止しても効果はない。無作法な貧民どもとの雑居に、ほとほと手をやくことになる。こういう場合の頼みの綱は世話係の僧たちだが、彼らがやってきて、『こらこら、お前ら少し遠くへ下がれ』と追い払っても、僧が立ち去ってしまえばたちまち元のもくあみ…。いつのまにかまた、がやがやとこみ合ってきて、前と同じ状態にもどってしまうのだからやりきれない」


   握手する
   度に相手が
   票に見え


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『四つ橋通信費(ヨツバシツウシンヒ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:功績は賞され、罪は必ず罰せられる。