「原は竹原。瓶の原。朝の原。その原。萩原。粟津原。奈志原。うなゐごが原。安倍の原。篠原」
杉本苑子氏による現代語訳で味わう『枕草子』十三段。
「原では大和のたか原、山城の瓶原(みかのはら)、それに大和のあしたの原、信濃のその原、紀伊の萩原、近江の湖畔に広がる粟津の原、また大和のなし原、うないごが原、摂津の安倍の原、近江にあると聞く篠原も名高い」
「たか原」は、高の原駅付近だろうか。「瓶原」は、加茂の辺り。「あしたの原」は、王寺から香芝にかけての地。「その原」は、阿智村園原のことか。「萩原」は、日高町か、それとも紀伊長島か。どちらにしても京からは遠い。「粟津の原」は、石山辺りに位置。「なし原」、「うないごが原」に関しては、残念ながら場所の見当がつかない。お手上げ。「篠原」は、近江八幡にある。「安倍の原」は、我が垂直長屋が建つ地である。大和川で分断されていなかった平安時代、「安倍の原」は堺辺りまで続いていたのだろう。が、現在は人口密集地。阿倍野区単体でも人口は10万。四方いずれを眺めても、ひと目1万軒は下らない。表記ゆれがあり、区名は「阿倍」野、近鉄の駅名は「阿部」野橋、陰陽家なら「安倍」晴明という具合。平安時代の人口を学者が推計すると、400万人から700万人になるという。1億2千万人の3.3〜5.8%にしか相当しない。現在の過密ぶりとは無縁の、人恋しくなるほど寂しい風景が広がっていたことになる。
リターンが
決まって気分は
エアーケイ
それでは、本日のシャッフルクイズ。
『囲炉裏でオヤジ寝(イロリデオヤジネ)』
今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:カーニバル。