現在のNHK大阪放送会館辺りを元禄4(1691)年まで遡る。建ち並ぶのは、土岐伊豫守(とき・いよのかみ)の家中屋敷、同下屋敷。下屋敷というのは、上屋敷に対する控えの別邸。法円坂一丁目一帯も伊豫の守家中屋敷に充てられている。出羽上山藩の藩主だった土岐頼殷(とき・よりたか)が大坂城代に出世するのは、絵図が完成するのと同じ元禄4年のこと。1万石加増され、3万5千石となっている。府庁や府警本部などが立ち並ぶ大手前を占めるのは、松平縫殿頭(まつだいら・ぬいのかみ)与力や家中の屋敷。松平縫殿頭乗次(まつだいら・ぬいのかみ・のりつぐ)は6千石の旗本だったが、京橋口定番に出世。こちらも1万石加増で、大名に名を連ねている。青屋門(現在の大阪城ホール辺り)から第二寝屋川を渡ったOBPには、彼が使用した下屋敷が見える。
ドドドーンと
下げる「アカヒ」に
上げる「圭」
それでは、本日のシャッフルクイズ。
『後に言えるか?(ノチニイエルカ)』
今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:死ぬ覚悟で事にあたる。