まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

アーヴィング・バーリン(2)

1セントでも2セントでも稼ぎたければ、聴衆の心に響く曲を歌う外はない。最も当てにできるのは、良く知られたメロディーで飾らぬ情感を持つ曲だったとか。支配人に頼み込み、店が引けるとピアノを触らせて貰う。演奏はもちろん独学。ユニオンスクエアやチャイナタウンの酒場でピアニスト兼歌手として働く頃には、18歳となっていた。酒を給仕する傍らヒット曲のメロディーに乗せて自作の春歌を披露すると、客には大受け。初めて作詞作曲したのは、Mike Nicholsonとの共同制作“Marie From Sunny Italy”。楽譜の表紙に“I. Balin”と入るはずだったが、印刷会社が誤って“I. Berlin”とやってしまう。アーヴィングが「ベイリン」ではなく「バーリン」で歴史にその名を刻むことになったのは、印刷会社の誤植が発端となっている。20歳になった頃、歌唱力に惚れ込んだMax Winslow(大手の音楽出版社Harry Von Tilzerの職員)に見込まれ、ユニオンスクエアの酒場で新しい仕事に就く。お陰でEdgar Leslie,Ted Snyderなどの有能な作詞家と仕事を共にするチャンスに恵まれる。翌年Ted Snyder社とも関係を築く。この音楽出版社がWaterson,Berlin&Snyder,Inc.と名を改めるのは1918年。世界恐慌の荒波を受けるまで、全米最大手の座を維持したという。


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それでは、本日のシャッフルクイズ。


『宝がない子(タカラガナイコ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:気楽でくつろげる。