まちゃつの徒然日記

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大河津分水路(4)

大政奉還後、洪水防止のための分水路建設の計画が持ち上がる。新政権に移る混乱の中でも交渉は順調に進み、明治2年に建設決定。翌年から開削が始まった。が、5年後の明治8年に工事は中止に追い込まれている。最大の理由は、農民への過大な負担。重労働に従事するだけではない。工事予算80万両の内、60万両が地元負担とされた。実際、工事反対の一揆(渡辺悌輔騒動)が起き、役人が死傷している。首謀者は死刑。理由の2つ目は、沿岸部の丘陵地帯で工事が難航したこと。掘っても掘っても地滑りが発生。標高が下がらないため、「化け物丁場」と呼ばれたらしい。3つ目は、英人ブラントンら雇われ外国人技術者からの声。分水路の完成が新潟港の水位低下を招き、船舶の入港に差し障りが出る旨政府にアドバイスしている。このため、一旦開削された平地部は埋め戻され、明治29年に大災害「横田切れ」を引き起こすまで、分水路開削の話は採り上げられなくなる。1909(明治42)年、分水路開削に再着工。同時に水量調節のための3つの堰を建設。工事中の犠牲者84名。大河津分水路が完成するのは、13年後の1922(大正11)年のことである。


   プラズマと聞いて安心していたら
   中は埃とかびの巣窟
   エアコンを丸洗いして深呼吸


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『キヨシと少尉だ(キヨシトショウイダ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:朝廷、公家、社寺を見張る。