まちゃつの徒然日記

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高峰譲吉(2)

14歳で適塾入学。が、この年(明治元年)限りで適塾は閉鎖。15歳で大阪医学校(後の阪大医学部)及び大阪舎密(せいみ)学校(後の第三高等学校:現京大教養)に入学。工部大学校(現東大工学部)を首席で卒業後、グラスゴー大学に国費留学。応用化学研究者として英国で3年を過ごす。グラスゴー大学は1451年創立の名門国立大学で、ノーベル賞受賞者6名を輩出。アダム・スミス(後に学長)やジェイムズ・ワットの出身校でもある。日本人留学生は稀な存在。38年後の1918年からは、竹鶴政孝(Sトリー初代工場長でNッカウィスキーの創業者)が同じく3年間の留学生活を送ってもいる。帰国後、農商務省官僚となる。翌1884年、日本政府はニューオリンズ万博視察のために事務官2名を1年間派遣。一方が英国留学帰りの譲吉。この地でCaroline Field Hitchと婚約している。普段“Carrie”と呼ばれていたカロラインは、マサチューセッツ州ファルマス(ジョン万次郎が訪れた捕鯨基地ニューベドフォードの対岸)生まれの18歳。5人姉妹の長女である。父親のEbenezer Vose Hitchは、特許庁長官。


   ハリウッド張りの笑顔を振りまいて
   共産新人「バイソン」倒す


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『団結維持(ダンケツイジ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
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