まちゃつの徒然日記

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高峰譲吉

1854年12/22(嘉永7年11/3)、父精一と母幸子の長男として越中高岡で出生。少子化の現代からは想像を遙かに超える、13兄弟姉妹だったという。父方は、高岡で代々続く町医者。江戸や京で蘭学を修めたため、精一は加賀藩御典医として迎え入れられる。金沢城大手門近くに居住しているから、大出世だろう。母親は高岡の造り酒屋(津田家)の娘。後に譲吉は消化薬「タカ・ジアスターゼ」を創薬するが、その元はコウジカビ。母方からも恩恵を充分に被ったと言える。金沢の梅本町に移ったのが1歳。7歳になり、藩校「明倫堂」に入学。10歳で加賀藩より長崎留学を命じられている。大政奉還を2年後に控えた時期である。留学の目的は、オランダ語に加え英語の習得。「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」のことば通り、大成する人物は子どもの時分より並はずれて優れていることの好例。ただ、オランダ人(長崎の致遠館ではVerbeckフルベッキ、大阪舎密学校ではGratamaハラタマ)から英語を習ったためか、時折オランダ訛りが出たらしい。“V”を“F”、“G”を“H”で発音したり、中間母音を[e]で済ましたりしていた可能性がある。


   逆風下「敵前逃亡」したものの
   敗走重ねる「生活」「みどり」


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『お怪我ないイモ(オケガナイイイモ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:予期しない。