まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

「たかたか」(2)

乳牛を飼い、善造にその世話と牛乳配達とを任せることで学費捻出を図る。父親も凄いが、12歳の息子はそれ以上。アイデアを実践してみせたのだから。善造少年が旧制高崎中学に入学するのは、1903(明治36)年。日露戦争の始まる前年に当たる。自宅のある箕輪村から高崎までの10キロ(直線距離で新大阪・天王寺間に相当)に交通手段はない。毎日、往復20キロをわらじ履きで歩き通すしかない。時速6キロの早足でも片道1時間40分はかかる計算。これだけでも大変だが、朝は暗いうちに起きて乳搾り。それが済めば、荷車に牛乳を載せ戸別に配達する。登校時に英単語を覚え、下校時には牛乳瓶を回収しながら乳牛の餌となる牧草を刈ったという。1頭で1日に12キロから15キロは食うというから、シロツメクサムラサキツメクサ、ネズミムギなどを集めまくったことだろう。想像だが、冬季には稲藁も利用したか。生き物が相手故、1日たりとも餌集めをサボる訳にはいかない。雨の日も風の日も、5年間休まずにこの日課をやり通したという。強靱な右手首は、この時の草刈りと無縁ではなかろう。清水善造が通った旧制高崎中学は、現在の高崎高校。去年、野球部が甲子園に出場した。1938(昭和13)年、現在地(高崎市八千代町)に移転する前は、少し北の赤坂町に所在。福田赳夫中曽根康弘、両元首相の出身校でもある。高崎工業「たかこう」と紛らわしいため、地元では「たかたか」と呼ばれる。川上哲治出身の熊本工業が「くまこう」で、熊本高校が「くまたか」と区別されるのに似る。今年で創立116年を迎え、校訓は3F精神(Fighting Spirit,Fair Play,Friendship)。今時珍しい、公立男子校やて。


   N杯の決勝対局中盤に
   入ることもなくチャンプ投了


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『大連怖いか?(ダイレンコワイカ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:かつお節と醤油が加わると、上手いねェ。