まちゃつの徒然日記

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Mark Twain(4)

当時オマハまで建設が進んでいた大陸横断鉄道が完成するのは、8年後の1869年。西部開拓が始まったばかりの時期故、駅馬車を乗り継いでの長旅である。1861年当時は、セントルイスからサンフランシスコまでの約3200キロを走破するのに最短でも3週間ほどを要している。時間がかかり過ぎだと感じるのは、ライト兄弟による発明品の恩恵に浴した現代人の感覚。ユナイテッド航空の直通便なら4時間を要しない。だが、駅馬車は、当時の人々にとっては「超」特急。トウェインの表現を借りれば、車輪のついた「揺りかご」である。もちろん、「みずほ」の快適さとは比べるべくもない。御者と護衛を除いた定員は9名。3列ベンチシートで、前列だけが後ろ向き。1人当たりの座席幅は40センチに満たない。現代の日本人が悪路を1日経験すれば、数キロの減量は間違いないところ。悪くすると、そのまま寝込んだ後に本当に「旅立って」しまいそうな代物である。旅客だけではなく郵便や現金を運ぶ駅馬車は、強盗団や敵対するインディアンの標的にもなった。「法と秩序」など確立していない。1861年といえば、ワイアット・アープは13歳。バット・マスターソンに至っては、まだ5歳である。途中で犠牲者が出るのは珍しいことではない。そうでなくても、グレートプレーンズ及びロッキー山脈越えは命懸け。それらを越えても、更にシエラネヴァダ山脈越えが待ち構えている。乗客といえども、砂地では徒歩を余儀なくされる。ぬかるみでスタックでもしようものなら、駅馬車を押すはめにも陥る。トウェインは、現在のユタ州ソルトレーク・シティに到着するのに半月を要したという。確かに「超」特急である。幌馬車に家財道具一切と大量の食料とを積み込んだ一般の開拓民は、ほぼ同じコースを4ヵ月から半年をかけて「歩き」通したのだから。


   立ち枯れる前に維新にひさし借り
   母屋も狙うコクーン爺さん


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『バリ威張る(バリイバル)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:昔の流行の復活。