まちゃつの徒然日記

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バートランド・ラッセル(10)

イギリスの生んだ数学者で哲学者、また平和運動家でありノーベル文学賞受賞者でもあるBertrand Arthur William Russell(1872年5/18〜1970年2/2)の10回目。前回5/28付日記では、下院議員に立候補して落選、トリニティ・カレッジを免職、禁固6ヵ月の判決を受け投獄されるところまで進んだ。バーティは46歳になっている。3年後の1921年、27年間連れ添った最初の妻アリスと離婚。7月中旬に来日。神戸、大阪、奈良、京都、横浜、東京を訪れ、講演と観光の日々を送る。9月、かねて交際していたDora Blackと再婚。1922年50歳、労働党候補として下院議員選挙に再立候補するも落選。1924年、1927年、1929年と3度に渡って米国で講演。59歳となった1931年、借金を残して兄フランクが死去。第3代伯爵を継ぐものの、兄の先妻に年400ポンドの扶助料を支払う義務を負う。1935年、ドラと離婚。64歳となる翌1936年、Patricia Spenceと3度目の結婚。1937年、哲学会会長に就任。上院で外交演説。2年後の1938年、オックスフォード大学で講義。ナチスによるポーランド侵攻が始まる1年前に当たるこの年に7度目の渡米。6年間の内、最初の5年はシカゴ大学に籍を置き、残りの1年をプリンストンで過ごす。後にラッセル・アインシュタイン宣言を出す相方のアインシュタインと出会うのは、プリンストン高級研究所でのこと。1944年、トリニティ・カレッジの講師に再任されることになり帰国。78歳となる1950年、「人道的理想や思想の自由を尊重する、多様で顕著な諸作群を表彰して」ノーベル文学賞を受賞。賞金は1万ポンド。80歳でパトリシアと離婚。その慰謝料にノーベル賞の賞金は費えたという。Edith Finchと4度目(!)の結婚。以後も米ソ冷戦の緊張緩和に向けての斡旋など精力的な平和活動を継続。ウェールズMerionethの自宅で亡くなるのは、97歳!


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『嫁、悋気か?(ヨメリンキカ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:路上教習に進める。