まちゃつの徒然日記

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バートランド・ラッセル(8)

イギリスの生んだ数学者で哲学者、また平和運動家でありノーベル文学賞受賞者でもあるBertrand Arthur William Russell(1872年5/18〜1970年2/2)の8回目。前回3/19付日記では、1893年5月に成人(21歳)に達したバーティが父の遺産2万ポンドを相続したところまで進んだ。翌1894年(8月に日清戦争勃発)、ケンブリッジ卒業。12月には、かねて交際していた5歳年上のアリスと晴れて結婚。祖母は反対だったという。生涯に4度結婚。いずれも10年以上継続しているが、数字の上ではアリスとの期間が一番長くて27年間である。1895年、ケンブリッジの研究員に与えられる特別奨学金フェローシップ)入手のため、学位論文を執筆。24歳となる1896年、London School of Economics(ロンドン大学の前身)で講義(ドイツ社会民主主義について)を担当。休暇を利用し訪米。3ヵ月に渡る滞在(遺産持ち故、金の心配は要らない)中、アリスの母校Bryn Maur College(アリスの従姉妹が学長)を訪問。Johns Hopkins大学(オリオールズの本拠地、ボルティモアに所在。ハーヴァード大学と並ぶ全米屈指の難関校)で、非ユークリッド幾何学について講義している。建国百年ちょっとの新大陸の人々にとっては、たとえ博士でも修士でもない若造であっても、ケンブリッジのトリニティカレッジ出身者というだけで仰ぎ見る存在だったか。25歳でMasterを取得。翌1898年(26歳)祖母が亡くなり、肉親は兄夫婦だけとなる。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『検査医師や(ケンサイシヤ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:倒産した会社に詰めかけたりする。