まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

バートランド・ラッセル(4)

Bertrand Arthur William Russell(1872年5/18〜1970年2/2)。2/16付日記に登場したRussell Einstein Manifestoの発案者の1人。数学者、哲学者にしてノーベル文学賞受賞者。愛称はBertie。2歳で母親と姉をジフテリアで失う。病弱な父が亡くなるのは、4歳を迎える前のこと。元首相の祖父に引き取られるが、その祖父もバーティが6歳の時に85歳の生涯を閉じる(祖母は、バーティが26歳を迎えるまで健在)。子どもの頃の逸話。砕いたパンをグレービーソースに浸して食べるのを好む。だが、食堂で大人達と一緒にテーブルを囲む際にはその食べ方は決して許されなかったという。子ども部屋での食事なら注意を受けずに済むため、夕食時にはよく寝たふりをして目的を遂げる。ドイツ人とスイス人の家庭教師から学んだため、小・中学校には通っていない。1年半通った幼稚園では馬の合う友人が出来、十代になってもしょっちゅう屋敷で会う。11歳の夏に7歳年上の兄、フランクからユークリッド幾何学を習う。以後38歳まで数学に打ち込む。同居していた叔父Rolloが結婚し、サリー州に新居を構える。この叔父宅で後に最初の妻となる5歳年上の大学生、Alys Pearsall Smithに一目惚れするのは6年後のこと。16歳を迎える前、ケンブリッジ大学トリニティカレッジに入学するための準備を開始。オールドサウスゲートにある、ラテン語ギリシア語を教授するcrammer school(塾)に18ヵ月間入寮。土日には帰宅可能。寮生の大半は陸軍入隊希望者だが、バーティの目的は、奨学資格試験準備である。
Just before my sixteenth birthday,I was sent to an Army crammer school at Old Southgate,which was then in the country. I was not sent to in order to crammer for the Army,but in order to be prepared for the scholarship examination at Trinity College,Cambridge.
チャーチルラッセルも塾に通う! 塾で学ぶのは、アジアに限ったことやないんやねぇ。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『姿勢、精鋭(シセイセイエイ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:気象衛星「ひまわり」。