まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

轍鮒(てっぷ)の急(きゅう)

荘周(『荘子』の著者で、孟子と同じ戦国時代の人)が友人に借金を申し入れた際に生まれたことば。差し迫った危険の意。呉れてやるのなら別だろうが、喜んで知人に金を「貸す」者などいない。悪くすると、人と金の両方を失いかねないから。その友人も、「2,3日したら入金の予定がある。その時に用立てよう」と体よく断ろうとしたらしい。だが、歴史上の人物はそれくらいではへこたれない。「今見てきたのだが…」と以下のように語り始めたという。

「車の轍の跡にできた水たまりに鮒がいてね。干上がってしまえば命はない。水を運んできて自分を助けてほしいと頼むんだ。分かった。私は、これから呉や越に出かける。2,3日して戻ってきたら水郷地帯の水をたっぷり用立てよう。すると、鮒は怒って『今は一刻を争う。後日たっぷりいただくより、今は一滴の水が欲しい。それができなければ、私は死ぬ。私を捜し求めたければ、乾物屋にでも行ってみるがよい』と述べたのさ」

周顧視車轍中有鮒魚焉。周問之曰、鮒魚来、子何為者耶。對曰、我東海之波臣也、君豈有斗升之水而活我哉。周曰、諾。我且南遊呉越之王、激西江之水而迎子、可乎。鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳。君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆。

周、顧視(こし)すれば、車轍(しゃてつ)中に鮒魚(ふぎょ)有り。周、之に問うて曰く、鮒魚来たれ、子は何為る者ぞやと。對(こた)えて曰く、我は東海の波臣なり、君豈(あに)斗升(としょう)の水あって我を活かさんかと。周曰く、諾。我、且(まさ)に南のかた呉越の王に遊ばんとす、西江の水を激して子を迎えん、可ならんかと。鮒魚忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰く、吾(われ)我が常與(じょうよ)を失い、我處(お)る所なし。吾(われ)斗升の水を得ば然(しか)も活(い)きんのみ。君乃(すなわ)ち此(これ)を言う、曾(すなわ)ち早く我を枯魚の肆(し)に索(もと)めんには如(し)かず、と。

ハリウッドの脚本家顔負け。いつの時代にもとっさの機転が利く人はいるもの。2千年以上経過しても色あせないストーリーである。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『おんぶ、津以遠か(オンブツイエンカ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:塩素原子が1個の電子を得てできる。