まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

襄公(じょうこう)

春秋戦国時代黄河下流南部に宋という国がある。殷の末裔であり名門だが、北は趙、南は大国の楚と接する小国。襄公は、宋の君主(生年不詳〜637B.C.)。同国南部の泓水(おうすい:徐州の西約200キロ)で楚の大軍と対峙した時のこと。まともにぶつかったのでは宋に勝機はない。宰相の目夷(もくい:襄公の庶兄)は、渡河中に楚軍の陣容が乱れた様を見ると、即刻の攻撃開始を襄公に進言する。襄公は、
君子不困人於阨。
君子は人を阨(やく)に困(くる)しめず。
君子は人が困っている時に弱みにつけ込むものではない。
と厳命。宋軍は折角の攻撃のチャンスを逃してしまう。河を渡り終えた後、陣容を整えるのにもたつく楚軍を見た目夷は攻撃を再度進言。「戦いは勝つためにするのであるから、敵の弱点をつくのも立派な戦法だ」と強く説く。ところが、「戦いには礼があり、戦いは同一条件の下に行われるべきもの」と考える襄公は、進言を却下。結局、宋軍は大敗。襄公は、この時の戦傷が元で亡くなったという。無益の情け、時宜を得ぬ憐れみを「宋襄の仁」と呼ぶ。褒めことばではない。が、紀元前の中国には、武士道精神にも通じる考えを持つ王がいたんやねぇ。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『孫にはめたな(マゴニハメタナ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:色白でかわいらしい顔かたち。