まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

踏み車

水車は、水流を羽に受け精米・製粉・発電などを行う。本日話題の踏み車も、水辺に設けられ回転するところまでは同じ。異なるのは、人が回転体を踏んで、ひしゃくに似た羽根によって灌漑を行う点にある。つまり、渇水期など水位が低下した水源からでも田へ揚水できる優れものである。ポンプのなかった時代、価格は一両を下らなかったらしい。星形を使って形状を説明。星形(★)には頂点が5つあるが、踏み車の頂点は14(大型だと18、大人2人で踏んだという)。水辺にはラグビーゴールのようなH型の棒が立ててあり、踏み手はそれに掴まって羽根を踏む。ひと羽根で7.2〜9リットルを揚水。水を汲み上げる部分(踏み車の軸から下ろした垂線と軸から水平方向に伸ばした線とで出来る1/4円)には鞘箱(さやばこ)と呼ばれる外板が取り付けられれている。それ以外は、スケルトン構造。分解して持ち運びが出来る。昭和34年頃の熊本県A市では、ありふれた農具。通学途中で見かけると踏んでみたくて仕方なかった。一度も経験させてもらえなかったが、子どもには無理。ベアリングなど使われているはずもないから、小型でも自重プラス30キロくらいは重みがかかったはずである。たとえ小学1年生が踏んでもぴくりともしなかったであろう。寛文年間(1661年〜1672年)に大阪の京屋七兵衛、清兵衛により発明される。1760年頃、この踏み車に改良を加え、同じ大きさでもより高い場所へ揚水出来るようにした人物がいる。筑後の人、猪口万右衛門である。猪口製の踏み車には、羽根の底板に回転方向とは逆に傾斜がつけられている。言い換えれば、手のひらを上にして地面と平行に差し出し、手首から先を下げた状態である。佐賀市HPによれば、瞬く間に猪口製が全国に普及。1772年〜1779年のことという。その後、猪口製は海を渡り竜骨車を駆逐し、半島でも大陸でも用いられる。シルクロードを逆流した製品は、近現代の工業製品だけではない。日本人は、近世に置いても創意工夫を行っていたのである! ところで、猪口T男さん、お元気?


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『幸、行くか(サチイクカ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:勝つこと。