まちゃつの徒然日記

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Scott Joplin

1867年?〜1917年4/1。永らく1868年11/24生まれということになっていたが、最近の研究で1967年後期の生まれと判明。アフリカ系アメリカ人の作曲家、ピアノ奏者。父親はノースカロライナ出身の元奴隷。奴隷制が米国で廃止されたのは、スコットが生まれる2年前の1865年のこと。母親はケンタッキー出身で、自由の身に生まれたアフリカ系アメリカ人。6人兄弟の次男としてテキサス東部で出生。アーカンソー州南西部、テキサス州との州境にあるテキサカーナ市。市の真ん中を州境が横切る。境界線上にある郵便局舎は左右対称に建てられ、市長が2人いるちょっと変わった都市として知られる。スコット・ジョプリンが2,3歳の頃、家族はテキサス州東部からテキサカーナ市に引っ越してくる。父親は鉄道会社に勤務。母親は洗濯やクリーニングの仕事をして家計を支えたらしい。スコットを含め、三男のRobert、四男のWilliamの3人は音楽に関心を示す。父親がバイオリン、母親がバンジョーと歌を指導。7歳の時には隣家及び弁護士宅でのピアノ演奏を許されているから、かなり上手だったのだろう。8歳の頃、Julius Weiss(教師)と出会い、音楽の手ほどきを受けるようになる。放課後は常にピアノの練習。大望を抱く、生真面目な男の子だったらしい。ローティーンの頃、父親が女と出奔。暮らしを切りつめ、母親はスコットのためにピアノを購入したという。スコット・ジョプリンは、生涯に44曲のRagtimeを作曲。ラグタイムというのは、クラシック音楽アフリカ系アメリカ人の持つリズムやハーモニーを融合した音楽形式の1つ。1897年から1918年にかけて流行するものの、高い評価を得られないまま50歳を前に亡くなる。ところが、死後半世紀以上が経過した1974年、突如再評価の声が高まる。映画『スティング』のテーマ曲として“The Entertainer”が使用されたのがきっかけである。まちゃつ、音楽の話を文字で表現するには無理があるでーっ。大丈夫、この曲はみんなが知っている! セレッソの応援歌がKincho Stadiumに流れるやん。「(熱い気持ち)熱い気持ち、(この歌に込め)この歌に込め、叫び暴れろ。オーオオーオオーオオー、オオオオオオオーオオーオー」あの曲やで、スコット・ジョプリンが作曲したんは!


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『半泣きに舐めん(ハンナキニナメン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:ずんぐりした不美人を形容。