まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

Hero of Lake Erie

1776年に始まるアメリカ独立戦争終了後、米国が再び英国と交戦したのが米英戦争(1812年〜1814年)である。米国では第2の独立戦争とも呼ばれる。イギリスの対仏海上封鎖による通商妨害で、貿易上の巨利を得られなくなったことが原因。トラファルガー沖海戦でネルソン率いる英国艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を撃滅したとはいえ、1812年当時はナポレオン・ボナパルトの全盛期。陸上では連戦連勝。その命令に従わない国は、小アジアのトルコを除けばヨーロッパではイギリスだけ。イギリスに宣戦布告をしても、新大陸に増援部隊を派遣する余裕のないことが分かっているアメリカは、陸上兵力の優位を頼みにイギリス領カナダ獲得に動く。が、イギリス側につくインディアン部族の出現もあり、寡兵ながら植民地英軍は奮戦。この目論見は、結局失敗に終わるのであるが、米英戦争中、五大湖制海権を持たないアメリカ軍が、イギリスの帆船6隻をすべて捕獲するという出来事が起こる。「エリー湖湖上戦」での両軍の死傷者は、260名。英軍捕虜は、306名。本日話題の「エリー湖の英雄」は、当時27歳の海軍大尉Oliver Hazard Perry。ロードアイランド、サウスキングストン生まれ。1785年8/23〜1819年8/23。ベネズエラオリノコ川に遠征中34歳で亡くなる。死因は黄熱病。マックス・タイラーの研究により、黄熱病のワクチンが大量生産されるのは、121年後の1940年を待たねばならない。父親も海軍軍人、クリストファー・レイモンド・ペリー大佐。そんな人知らん? でも、9歳下の弟やったら、その名前を聞いたことがきっとあるはずや。Matthew Calbraith Perry。幕末の日本にやってくる、東インド隊司令長官ペリーである。その兄がオリヴァー・ハザード・ペリー。若くして亡くなっているので、体型はでっぷりではない。ペリー家では、兄弟4人とも海軍軍人になったという。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『遊泳地、成立(ユウエイチセイリツ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:食料付き核シェルター常備、国民皆兵の国。