まちゃつの徒然日記

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高橋景保(たかはし・かげやす)

台東区東上野6丁目に源空寺という浄土宗の寺がある。JR上野駅北端から東へ約600
メートル。伊能忠敬や谷文晁の墓所として知られる。家光寄進の鐘楼が立派。東河(とうか)伊能先生之墓とあるのが伊能忠敬の墓。東河は、忠敬の号。墓石のすぐ側には、東岡(とうくう)高橋君之墓の墓碑銘。埋葬されているのは、高橋至時(たかはし・よしとき)。幕府の天文方を務め、寛政暦を作成。50歳で隠居、蘭学を学び始めた忠敬に西洋暦や測量術を指導し、大日本沿海輿地全図作成を支援した人物でもある。東岡は、至時の号。師の横に埋葬するようとの忠敬の遺言はかなえられた訳。本日話題の高橋景保も、幕府の天文方で至時の長男にあたる。1785年、大阪の生まれ。墓碑銘は、玉岡(ぎょくこう)高橋景保墓。3人の墓が並んでいるが、景保の墓石の横には徳富蘇峰の筆に依る「為天下先」の頌徳碑。「天下の為に先んずる」と読むのか。建てられたのは、1935(昭和10)年と新しい。国禁を犯した犯罪人として1829年に44歳で獄死したためだろう。忠敬の死後に大日本沿海輿池全図を完成させたのは、高橋景保。正しい評価を受けるまでに106年を要す。ドイツ人医師、シーボルトとも懇意の仲。ロシア海軍提督・探検家、クルーゼンシュテルン著『世界周航記』をシーボルトから贈呈されたお礼に、国家機密の大日本沿海輿池全図の縮図を渡してしまったのが幕府に露見。投獄されたという。シーボルトは国外追放処分となるが、安政の五ヵ国条約後に幕府の顧問として再来日。頌徳碑に書かれたシーボルトのことばで本日は終了。
「余が此の海路の詳細なる形圖と多少水路学的観察を報ずるを得たるは、吾等に同行せる日本人の好意と下関の余の友人の援助、殊に余の忘れ得ざる援助者たる幕府天文方、高橋作左衛門に感謝せざるを得ず。シーボルト 小澤敏夫譯」


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『瀬尾、本音知らん(セオホンネシラン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:乗鞍岳中腹の温泉。