まちゃつの徒然日記

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大森貝塚

JR大森駅北にある縄文時代の遺跡。「発見」したのはEdward Sylvester Morse。標本採集の許可を文部省から得るため、横浜から新橋まで汽車を利用。車窓から見つけたという。当時、39歳。日頃目にしていた日本人は、貝塚の価値を理解していなかった訳。日本の考古学・人類学に夜明けをもたらした、エドワード・S・モースは、米国の動物学者。1838年6/18〜1925年12/20。メイン州ポートランドで牧師の子として出生。メイン州は合衆国北東端に位置し、富豪の避暑地・保養地が多い。科学的なものの考え方をするよう仕向けたのは母親。貝殻やカタツムリを求めての大西洋沿岸調査や、動物相や植物相を研究するためのフィールド・ワークを好む。だが、学校時代は言うことが聞けない「問題児」。在籍した、ポートランド村立学校、コンウェイ学院(13歳)、ブリグトン学院(16歳)すべてで退学処分をくらっている。公的教育を受けられなかったエドワードだが、青春時代に作り上げた彼のコレクションを見ようと、著名な科学者がボストン、ワシントン、更にはイギリスからも訪れるようになる。新種のカタツムリの発見もあり、軟体動物の専門家として博物館学芸員や大学の教員となる。専門教育を行わない学校のレベルには満足出来ない人物だったのだろう。25歳の誕生日に、エレン・エリザベス・オゥエンと結婚。エディスとジョンの2人の子どもに恵まれている。日本に来る以前には、既に大学教授。貝塚の発見など、造作もないことだったと思われる。学生を使って発掘調査。貝殻以外に、土器、石器、骨角器、鳥・獣・魚の骨、木の実などが見つかり、当時の気候、動植物相を知る貴重な資料となる。21歳の時に出版されたダーウィンの『種の起源』から、腕足類(シャミセンガイ、ホウズキガイなど)に注目。1877(明治10)年、私費で初来日したのは、標本採取のため。2年間東大で生物学を講じ、進化論を紹介。著書『日本その日その日』『大森介墟古物篇』など。交通の不便な時代に3度日本を訪問。1923年、東京帝大図書館が関東大震災で壊滅的な被害を受けたことを知るや、遺言で全蔵書の寄付を決めている。専門教育を受けるに値する小学生を見つけ、対応するシステムを作らないといけないね。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『ただ力み飲用し(タダリキミインヨウシ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:有馬晴信大村純忠大友宗麟ら。