まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

恩師、Pehda先生(220)

ペーダ先生ご使用教材、Max Wilk著“The Wit and Wisdom of Hollywood”には映画監督のCecil Blount DeMille(セシル・B・デミル)も登場する。1881年8/12〜1959年1/21。マサチューセッツ州アシュフィールドに生まれ、ノースカロライナ州ワシントン育ちである。アシュフィールドは州北西端に位置する小さな町。現在の人口は1700人。ワシントンは、もちろん首都の方ではない。米国には同じ地名がごまんとある。東端部の海沿いの町で、現在の人口は1万3千人。父親のヘンリーはノースカロライナ生まれのオランダ系。母親ベアトリスはユダヤ系イギリス人移民で、18歳の時両親と共にブルックリンに落ち着く。舞台や脚本に並々ならぬ情熱を持つ2人が出会うのは、ニューヨーク。二男一女に恵まれる。セシルが11歳の時、40歳の父親が腸チフスで死去。葬儀で妻は「息子達が父と同様に上品で気高く、立派で正直になりますように。父にならって後に続きますように」と祈る。遺族となった妻子4人に貯蓄はない。2ヵ月後ベアトリスは、自宅で俳優養成所「ヘンリー・デミル女子校」を開く。劇場興行主としてブロードウェイで成功する、数少ない女性の1人となるのは後のこと。15歳となったセシル・B・デミルは、ペンシルベニア州にあるミリタリー・カレッジに通い始める。現在は所在地不明。4年で卒業し同窓生功労賞を受賞。兄ウィリアムも翌1901年同校を卒業し、脚本家となっている。卒業後はブロードウェイで舞台俳優として活躍。32歳の時パラマウント入社。33歳から監督を始めるや、制作費に糸目をつけない遣いっぷりながら、ヒット作を量産。1910年代20年代を通じて人気を博す。80作に及ぶ監督作品があるが、代表作を3つ挙げると、“Don't Change Your Husband”1919年制作、“The Ten Commandments”1923年と1956年の2度制作、“The King of Kings”1927年制作。『タイタニック』『アバター』制作のジェイムズ・キャメロンは、べらぼうな制作費が話題となる監督であるが、遙か昔のハリウッドの先輩を真似ているだけなのかも。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『雨水よ、入り(ウスイヨハイリ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:船体自身の重さ。