まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

恩師、Pehda先生(217)

ペーダ先生の授業に使用された、Max Wilk著“The Wit and Wisdom of Hollywood”の3回目。最初に注釈。脚本家、ドナルド・オグデン・ステュアートについては、8/3付日記を、同じくアーヴィング・タルバーグについては、7/19付日記を参照されたし。

「私がユーモア講師としてハリウッドへ出かけたのは、1920年代の中頃のこと」ドナルド・オグデン・ステュアートが思い出を語る。目の前にいるんだよ、イェール出身者の私が。然るに、連中は最初に何をしたか? 連中が私に依頼したのは、『ハーバードのブラウン』制作だった。それから(サイレント映画ではなく)音声が入るようになると、タルバーグから来るように依頼を受けた。彼は私に何をしてもらいたいのか。ユーモア作家?それとも脚本家? 何と、お涙ちょうだいものの代表作、『永遠(とわ)に微笑む』の脚本だった! 

“I went out to Hollywood in the middle of Twenties as a humorous lecturer,”Donald Ogden Stewart recalls. “There I was,a Yale man,and what did they do first? They asked me to work on Brown of Harvard. And then,when sound came in and Thalberg sent for me,what did he want me,humorist,to write? Smiling Through,a great tear-jerker.”

ドナルド・オグデン・ステュアートがハリウッドに進出するのは、ブロードウェイで脚本家として知名度が上昇後の30歳前後のこと。イェール大学は、ハーバード大学のライバル。学生の質、伝統とも全米一二を争う。両校ともに大統領を輩出。映画『ハーバードのブラウン』にはフットボールの試合が出てくるが、イェール大学は引き立て役でしかない。そうそう、この映画は、ジョン・ウェインの初出演作としても有名。でも、科白なしのイェール大学生役。しかもヘルメットを被っている。どこにいるかは、本人にしか分からない。残念。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『平然、簡単(ヘイゼンカンタン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:卵、幼虫、さなぎの3段階を経過。