まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

恩師、Pehda先生(213)

Max Wilk(7/12付日記)の著書に登場する人物に、David O. Selznick(1902年5/10〜1965年6/22)がいる。デイヴィッド・セルズニクは、ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。7/19付日記に登場した、アーヴィング・タルバーグと同様ユダヤアメリカ人の脚本家・映画プロデューサー。父親はLewis J. Selznick。サイレント時代の映画監督である。コロンビア大学ニューヨーク市にある名門大学、ドナルド・キーン教授が教鞭を執った大学)出身。父親の会社で映画制作に携わるものの、1923年に倒産。1926年、MGMに入社。1928年、パラマウントに移籍。1931年、RKOに移り『キング・コング』制作。1935年、セルズニク・インターナショナル・ピクチャーズを設立し、以後は名作を連発。1939年『風と共に去りぬ』(ヴィクター・フレミング監督)、1940年『レベッカ』(アルフレッド・ヒチコック監督)、1947年『第三の男』(キャロル・リード監督)、1953年『終着駅』(ヴィットリオ・デシーカ監督)、1957年『武器よさらば』(チャールズ・ヴィダー監督)。1949年に再婚した妻は、ジェニファー・ジョーンズ。『終着駅』の主演女優である。美しい映像を追求するためか、脚本家、監督、カメラマン、俳優などにたびたび干渉。口を出されるのを嫌がる関係者から契約を拒否され、晩年は仕事ができなくなるレベルだったという。「どうでもいいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」と述べた、小津安二郎監督。セルズニクとは同世代。1年後に生まれ、2年早く亡くなっている。小津の3つ目をアメリカで妥協せずに実践したのが、セルズニクだったか。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『医師、うんちせよ(イシウンチセヨ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:銀河1つに匹敵するほど明るくなる。