まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

史上最大のバーゲン

ペリーが最初に浦賀に来航した1853年、クリミア戦争が勃発している。オスマン帝国領内の聖地エルサレムの管理権を巡ってロシアとオスマン帝国の両国が対立し開戦。翌1854年、英仏などがオスマン帝国に加担。クリミア半島に出兵し、セヴァストーポリ要塞を攻囲する。両軍合わせて20万人の死者を出した後、1855年9/11に連合軍が突撃。要塞は陥落する。1856年、パリで講和条約が締結されている。財政難に陥ったロシアが中立国アメリカに持ちかけたのが、アラスカの売却。国務長官ウィリアム・ヘンリー・スワードが交渉にあたり、1867年に720万ドルで買収することで合意。1平方キロ当たり5ドルという価格は高すぎるとして、当時の米国世論は「スワードの氷冷蔵庫」と嘲笑。現代のアラスカのデータを見ると、面積は171万平方キロ。日本の4.5倍。人口は71万人。州都ジュノー。最大の都市はアンカレジ。「スワードの氷冷蔵庫」と揶揄されたアラスカには翌年(1868年:明治元年)、10万人が押し寄せることになる。プルドーベイで原油が発見されたのに続いて、ノームやフェアバンクスでは金鉱が発見されたからである。OK牧場の決闘で知られる、ワイアット・アープも金鉱探しに出かけて一山当てたという。「臍(ほぞ)をかむ」(後悔しても及ばない)という慣用句は、この時のロシア政府のために誂えられたかのようである。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『雨天の指示(ウテンノシジ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:聖徳太子の建立。