まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

恩師、Pehda先生(201)

前回紹介したサミー・デイヴィス・ジュニア(Samuel George Davis Jr.)の続き。両親が旅回り一座に所属。父方の祖母に育てられる。高校は通信制を利用し卒業。1944年、19歳を迎える年に徴兵され陸軍へ入隊。芸歴から最前線には送られず、慰問部隊配属となる。1950年、フランク・シナトラに才能を認められ「一家」に迎えられる。1954年、自動車事故で左目を失明。トニー・カーチス主演のユニバーサル映画“Six Bridges to Cross”『6つの橋を渡る男』のヴォーカルに抜擢され、録音のためスタジオへ出向く途中でのこと。公民権運動には積極的に参加するだけでなく、資金的な援助を惜しまなかった。「シナトラ一家」の一員となってからも、州によってはアフリカ系であることを理由に宿泊を拒否するホテルが出るなど、人種差別に悩まされていたからという。1954年5/17の時点で、米最高裁は公立学校における人種隔離政策は違憲との判断を下す。が、翌1955年12/1にアラバマ州モンゴメリで起きるのが、ローザ・パークス逮捕事件。バスボイコットは、1956年12/20に終了するまで1年余に及ぶ。1960年11/13、スェーデン系の白人May Brittと結婚。国内に大論争を引き起こす。当時は、30を超す州が異人種間の婚姻を禁止していたからである。元来が民主党支持者であるが、1969年〜1974年のニクソン政権では共和党を支持。ホワイトハウスに泊まった最初のアフリカ系アメリカ人となっている。転向の理由は、サミーの親友フランク・シナトラが大統領就任パーティを主催するにも関わらず、異人種間婚姻禁止騒動を鎮めたいケネディ政権中枢が出演者リストからサミーを外したことにあるらしい。SトリーのCMにも出演。“♪What do you say?”“I say Suntory.”とやっていた。1990年5/16、ビバリーヒルズにて喉頭癌のため亡くなっている。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


西鶴幸運(サイカクコウウン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:24時間利用可。