まちゃつの徒然日記

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西堀栄三郎

晩年は刑事被告人となったが、「コンピュータ付きブルドーザ」と渾名された首相がいた。集金力を背景に党内で統率力を発揮。抜群の官僚操縦術で政策を実行していく様に「今太閤」と呼ばれもした。話は変わって、学術界のブルドーザと言えば、西堀栄三郎。学者・技術者にして、南極越冬・ヒマラヤ登山のパイオニアである。1903(明治36)年1/28〜1989(平成元)年4/13。5人兄弟姉妹の末っ子として京都市に誕生。11歳の時、南座で白瀬中尉の南極報告を聞く。来日したアインシュタイン夫妻を京都・奈良へ案内したのは、19歳の時。25歳、京都帝大理学部講師。33歳で助教授となるも、転身し東京電気株式会社(現東芝)に入社。36歳、アメリカへ留学。41歳、真空管「ソラ」を発明。49歳、戦後初めての日本人として単身ネパールへ入国。マナスル登山の許可を得る。54歳、第一次南極観測隊越冬隊長。55歳、日本原子力研究所理事。70歳、ヤルン・カン初登頂の際の遠征隊長。77歳、チョモランマ北東稜からの初登頂に成功した際の総隊長を務めている。また、「♪雪よ岩よ、われ等が宿り。俺たちゃ街には住めないからに…」で始まる『雪山賛歌』の作詞者としても知られる。京大・東大合同スキー合宿の際、即興で作られたという。当時、24歳。今日は、彼の名言で締めくくろう。「火事くらいでくじけるな。失敗しても、またやり直せばよい」「応用が利く、本当に役立つ知識は、おっくうがってじっとしていては得られない。必ずそこへ足を運び、自分の手で触り、目で見て臭いを嗅いだり、時には味わったりして、初めて自分のものになる」「石橋を叩いて安全を確認してから決心しようと思ったら、おそらく永久に石橋は渡れまい。やると決めて、どうしたらできるのかを調査せよ」


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『顔、落研さ(カオオチケンサ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:特捜部に汚点。