まちゃつの徒然日記

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天ヶ瀬ダム

琵琶湖に流れ込む川は多い。野洲川日野川、愛知川、姉川安曇川など。でも、流れ出るのは瀬田川のみ。瀬田川は、宇治川、淀川と名を変え大阪湾に注ぐ。府の資料では、淀川の溢水に因る被害は甚大。昭和36年の第二室戸台風来襲時には、全壊(流出)家屋3386戸、半壊2万1356戸、床上浸水6万1488戸に達した。1戸当たり4人家族として、床上浸水以上の被害を被ったのは34万人に上る。史上最強の台風故、人智の及ばぬ所もあったろう。昭和28年の台風13号来襲時には、全壊(流出)877戸、半壊3354戸、床上浸水1万3434戸の被害。昭和25年のジェーン台風来襲時には、全壊(流出)1万625戸、半壊6万708戸、床上浸水5万4139戸の被害を出している。更にさかのぼって、幕末の紀州藩下級武士、酒井伴四郎が旅日記に描く大水に見舞われた枚方、淀、伏見の様子。「川岸の堤が崩れ、家々の軒先まで水が溢れ、街中を舟が川のように往来する」とある。こんな悲惨な状況を改善しようと計画されたのが、天ヶ瀬ダム。1955年に着工し1964年に竣工している。まちゃつは完成して間もない1965年、バスの中からちらっと覗いただけ。上流に向かってのアーチが印象的だったのを思い出し、8月末にちょっと寄ってみた。45年ぶりである。駐車場は、ダムサイトから道路を隔てた木陰。乗用車4,5台で満車になる小規模なもの。でも、ウィークデイ故1台も止めていない。洗面を済ませ、慰霊碑を探す。ダム工事には殉職者も出るからだ。左岸を川上に進むと発見。九頭竜ダムでは30名、黒部ダムでは171名の死者を出した。やはり1名が亡くなっている。黙祷。1970年、北東2キロメートルの上流に喜撰山ダム(ロックフィルダム!)が完成。夜間の余った電力を使用し、一度発電のために流した水を再び上流のダムに送る揚水発電を行っている。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『妻の寿司受けた子(ツマノスシウケタコ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:パナソニックの創業者。