まちゃつの徒然日記

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仰木彬

「7番セカンド仰木、背番号5」現在は取り壊されてしまった平和台球場にウグイス嬢の声が響く。歓声は上がるが、主軸の豊田、中西、大下ほど盛大ではない。小遣い無しの中学生は球場に足を運べないから、もちろんラジオを通してのこと。1954年の入団以来1967年の引退まで西鉄ライオンズ一筋。通算打率2割2分9厘は、好成績とは言い難い。選手としては地味だが、コーチ・監督としては一流である。野茂を育てイチローを発掘している。1968年〜1969年は西鉄コーチ。1970年〜1992年は近鉄コーチ・監督。1994年〜2001年及び2005年はオリックス監督。1935年〜2005年。肺癌で亡くなっている。水原茂率いる常勝ジャイアンツを倒して、入団3年目から日本シリーズ3連覇。監督は三原脩管理野球とは対極にある人物である。「グラウンドの外ではいくらでも無茶やってくれたらいい」が持論。その三原に「豊田と仰木にだけは制限をかけんといかん」と言わせるほど羽目を外して遊びまくる。自身が監督となってからも、選手を規則でがんじがらめにする手法は採り入れていない。思い出されるのは、14年前のオールスター・ゲーム。仰木は、ジャイアンツの松井秀喜(現エンゼルス)が打席に入ると、ピッチャー交代を告げる。呼ばれたのは何とイチロー。球場は大いに盛り上がったが、セ・リーグ野村監督は、松井の代打にピッチャー高津臣吾をコール。まちゃつは白けてしまった。野村は仰木と入団年が同じだが、ライオンズの宿敵南海ホークスの選手であった。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『顔がおばさん(カオガオバサン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:Jリーグ球団名。