まちゃつの徒然日記

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小村寿太郎

日南線飫肥駅に降り立ったのは、1982年の秋。通例旅に出る際は、前もって目的地の予習をする。楽しみの大半は、出かける前にあるから。でも、急に思い立っての訪問故、下調べはしていない。頭にあるのは、歴史のある城下町ということくらい。改札を出ると駅前には小さなロータリー。対照的に大きな文字で、小村寿太郎生誕の地とあるのが目に付いた。日本政府歴代ナンバーワン外相の呼び声の高い寿太郎は、旧飫肥藩士だったと初めて知る。1855(安政2)年10/26〜1911(明治44)年11/26。公称5万1千石の飫肥藩の財政は、幕末には火の車だったらしい。小藩である。明治10年の西南戦争時には22歳。同郷の若者は西郷軍に与し約300名の戦死者を出しているが、寿太郎は無傷でいられた。西南戦争の7年前に大学南校(現在の東大)に入学し、2年前にはハーバード大学に留学していたからである。文部省の第1回留学生に選ばれている。ハーバード大法学部卒業後、ニューヨークの弁護士事務所で研修を受ける。帰国後は司法省に勤務。30歳で外務省翻訳局に移る。以後、清国臨時公使、外務次官、米国公使、外務大臣を歴任。ポーツマス条約締結時は、50歳である。賠償金を得られなかったため、これに怒る無知な国民から投石を受けるなど、一時は家族と同居できない状態だったらしい。結核のため神奈川県葉山で亡くなっている。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『半分、体質(ハンブンタイシツ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:まちゃつも小6でやった。雨の日は大変。