まちゃつの徒然日記

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大村益次郎

国立大阪病院の南東角にレリーフがある。陸軍はフランスに、海軍はイギリスに倣い、藩兵を廃止し徴兵制の実施を提言。徴兵制に反対(藩兵維持派)の士族に京都で襲われる。大阪に移送後、オランダ人軍医ボードウィンに手術を受けたものの亡くなっている。大村益次郎は長州出身の村医、翻訳家、日本陸軍の祖。1824(文政7)年5月30日〜1869(明治2)年12月7日。村医、村田孝益の長男。幼名は宗太郎、通称は蔵六。蔵六とは、頭、尾、四足を隠す亀の異称である。抜きん出て聡明な人物は、自分のラベルをひけらかさない。(レベルやろっ!)ちょっと見ただけでは愚鈍に見える故の蔑称であろう。無愛想な気質も影響したか。大阪で緒方洪庵適塾に入門。1年間長崎留学した後に塾頭を務めているから並みの秀才ではない。父親に頼まれ帰郷し良庵と名乗る。招へいされた宇和島藩では、卓越した語学力で次々にオランダ語の書籍を翻訳。西洋式軍艦の模型完成に尽力。32歳で江戸へ出て鳩居堂を開き、蘭学兵学、医学を教授。38歳の時、1/22(金)日記に登場したジェイムズ・カーティス・ヘボンに英語を習い始めている。ヘボンが来日して3年目の1862年、生麦事件が起きた年のこと。益次郎が本領を発揮するのは、42歳となった1866年の第二次長州征伐以後のこと。戦略家としての才能を発揮、次々に幕府軍を打ち破り函館まで転戦する。印象に残ることば。どうすれば外国語を上手く日本語に置き換えられるか尋ねられて曰く。「正確に一生懸命読む。頭の中に絵画が完成するまで。その後は、絵画を見て日本語に置き換えればよい」のだと。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『小技と城(コワザトシロ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:ライオンズ球場。