まちゃつの徒然日記

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川端康成

川端康成記念会の年譜に依ると、1899(明治32)年6月14日、大阪市北区天神橋に生まれている。父親は開業医。2歳の時、父親が結核で死去し母親の実家(黒田家)があった現在の東淀川区に移る。3歳で母親も結核で亡くなり、茨木市で祖父母に養育される。10歳の時、4歳上の姉が死去。1912年、府立茨木中学(現在の茨木高校)に入学。3年時に祖父が死去し孤児となる。黒田家に引き取られ、寄宿舎で生活。1917年、蔵前に住んでいた従兄を頼って上京。一高英文科に入学。1918年、初めて伊豆へ出かける。旅芸人一行と道連れとなり、以後10年ほど毎年のように湯ヶ島に通う。1920年、東大文学部英文科入学。1922年、菊池寛に作品が認められ交流が始まる。国文科に転科。1926年、『伊豆の踊子』発表。松林秀子と同棲を始め、1931年に婚姻届を出す。1937年、『雪国』を刊行。鎌倉に転居し永住。1945年4月、海軍報道班員として特別攻撃隊のあった鹿屋に赴く。1946年、三島由紀夫の『煙草』を自身が関係する鎌倉文庫の雑誌『人間』に掲載。1961年、文化勲章受章。1968年、「日本人の精神の本質を繊細に表現した、卓越した叙述力に対して」ノーベル文学賞が授与される。1972年3月、虫垂炎で入院。以後体調がすぐれず4月16日、逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺。理由は不明だが、親しかった三島の自殺(1970年)、ノーベル賞の重圧、老齢により創作意欲が減退することへの不安などがあったとされている。それにしても、非常な悲しみという土壌にしか優れた作品という花は咲かないのだろうか。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『飯追う(メシオウ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:首都圏都市名。