まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

雪の旧加久藤峠

3年で時効になる件だから書こう。半世紀以上も前のこと。1959年も押し詰まったある日、熊本県A市から宮崎市へ車で家族旅行することになった。まちゃつは小学1年生だ。車といっても、わが家にあるのはDハツのミゼット空冷単気筒305ccのみ。テレビを持つ家はちらほらあったが、車となるとめったにない時代。たったの12馬力、最高速65km/hの幌付き3輪軽トラでも希少な存在である。4輪ではなく、車で3輪とは奇妙に思われるかもしれない。少ない資源で可能な限り安く車を製造するための知恵だったのだが、60馬力超の軽がある現代から見ればまるでおもちゃ。定員2名なので家族5人の乗車は無理だが、幌の付いているのをいいことに子ども3人は荷台で運ばれることになった。見つかれば、道路交通法違反である。絶対に幌から外を覗かないように繰り返し両親から注意を受けた。荷台には布団が敷かれ、毛布と掛け布団も積まれている。寝られるので喜んでいた3歳と4歳の弟妹も、1時間くらい経つと乗り心地の悪さに不機嫌となる。幌の色が黄色だから荷台は変に明るいし、横になってもタイヤハウスや壁に体がぶつかるからだろう。高速道路のある現在なら、3時間ほどだろうが、当時は昼過ぎにA市を出て南宮崎駅に着くまで9時間を要した。コースはR208、R3、R219、R221、R268、R10。難所は旧R221の加久藤越え。急勾配、急カーブの連続。トンネル無し、ガードレール無し、タイヤチェーン無し。眠っていると堀切峠手前で車から降ろされた。真っ暗な上にもの凄く寒い。雪が積もっている。ミゼットは、左カーブの上り坂を登ろうとしているのだが、車輪がスリップ。左手の谷底へずるずる滑るばかり。危ないと思って、親父は子どもを降ろしたのだろう。亡母が枯れ草や木切れを集めてきて左後輪下に敷き、やっと脱出する。午後7時頃にえびの到着。商店でパンを買う。R268に入ってからは順調。兵六餅を食べている間に到着した。旧221は現在も通行可だが、草ぼうぼう。バスやトラックも通っていたはずなのだが、昔日の面影は朽ちかけた交通標識くらい。たまに地元の軽トラが通るだけで交通量は極めて少ない。シカが通行する方が多いかも。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『左近すら不信(サコンスラフシン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:米国都市名。