まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

生家

車でトフコさんの実家に帰省する途中、小1まで住んでいた生家跡がどうなっているか気になり寄ってみた。九州自動車道南関ICから15分ほど、A市役所のちょっと西にある。4年前のこと。300坪の借地跡は50坪ほどの区画に分けられ、新しい二階建てが6軒建ち並んでいる。生家の敷地は南北に延びる街道の東側に接し、東西方向に広がる長方形。都会暮らしからすると300坪は豪勢だが、近所は皆その規模であった。道の両側に平屋が並び、奥は畑地というのが多い。東隣のMさんの邸宅は例外。大きな生け垣に囲われ屋敷内は覗けないが、立派な屋根瓦が異彩を放っている。祖父母は30羽ほどの白色レグホンを飼い、なす、きゅうり、とうもろこし、しそ、さつまいも、さといも、かぼちゃなどを栽培。果樹では梅、柿、桃、杏子があり、巨大な杏子の木にはブランコが取り付けられていた。祖父HHは司法書士。仕事が多いようには見えない。多分、恩給で暮らしていたのだろう。平屋の南側中央に玄関。南東端に勝手口が設けられている。玄関だけで、四畳半のスペース。上がりかまちが立派で、入学式など特別な日にしか使用は許されない。玄関奥が八畳の座敷。東側に縁側、北側に納戸、西側に六畳間。玄関の西側に四畳半。六畳間と四畳半の西側、つまり道路際は土間になっている。勝手口を入ると、やはり十二畳ほどの土間。東端が台所、北端が野菜などを洗うモルタル仕上げの洗い場。土間の西端には、高さ50cmほどの床下が見える。数段登ると畳敷きのダイニングスペース。玄関や座敷につながっている。アヒルが飼われていた池、製材所、山羊のいた空き地はなくなり、片側2車線のR389となっている。『方丈記』の冒頭「行く川の流れは絶えずして…」に続いて「昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる」が思い起こされた。今日は、祖父HHの命日である。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『一括くべとこ(イッカツクベトコ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:首班指名