まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

軽石

小学2年生まで住んでいた有明海沿岸のA市から大阪に引っ越してきた頃のこと。学校の遠足で神戸港に着いて驚いた。干潮になっても、海水が港から無くなるということはない。大型船は停泊したままでいられる。干満の差が6メートルある有明海に比べ、神戸では数十センチしかない。有明海なら干潮時には波打ち際がみるみる後退し、沖合数キロまで歩行できる。慣れ親しみ、当たり前に思えた波打ち際の急接近・急後退は珍しい現象であり、外の地域では決して見ることのできない特別な現象なのだった。実際、小学校の友人に話しても信じて貰えなかった。もう一つ、軽石が海に見られないのも不思議だった。A市の海岸には軽石は幾らでもあったからだ。「島原大変、肥後迷惑」ということばを御存じだろうか? 寛政4(1792)年、雲仙岳の一部が火山性地震によって崩壊し、有明海に押し出された。この衝撃で発生した津波が対岸の肥後に押し寄せ、1万5000名もの溺死者を出した災害をいうことばである。それから166年が経過。まちゃつが6歳の頃(1958年)の祖父母のことば、「津波が来たら、東のK地区まで走って逃げなさい」を思い起こす。有明海軽石が200年以上前に起きた大災害の遺物であることを知るのは、高校生になってからである。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『良い牛得した(ヨイウシトクシタ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:厩戸の皇子。