まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

4連投、4連勝

1958年、日本シリーズで常勝ジャイアンツを倒した西鉄ライオンズ。9/2(水)付の日記にある通りだ。喜びに浸る主砲中西とエース稲尾の目の前で、翌年は南海ホークスが優勝すると宣言し実行してみせた投手がいる。グラウンドを一歩出ると稲尾と親交のあった、杉浦忠(1935年9/17〜2001年11/11)である。杉浦は、愛知県挙母町(現豊田市)出身。挙母高校から立教大学へ進み、南海ホークスに入団。立教大学野球部では、後に巨人に入団する長嶋茂雄と同期である。大学在学中に肩を壊し、サイドスローに転向。人間万事塞翁が馬。肘から上がオーバースローのままという、杉浦独特の変則的な横手投げが完成。南海では、同じく1935年生まれの野村(6/29が誕生日、契約金無しのテスト生で入団)がいた。入団1年目で、いきなり27勝12敗、防御率2.05の成績。新人王を獲得。残念ながら、ホークスはパ・リーグ4位に低迷。翌1959年、杉浦は宣言通りの結果を出す。38勝4敗、防御率1.40、シーズン336個の三振を奪う。信じがたい好成績である。もちろんホークスは優勝。だが、杉浦の本当の凄さは日本シリーズで発揮される。手に出来たマメがつぶれるのも厭わず、ジャイアンツを相手に4連投4連勝で日本シリーズ優勝。MVPに選出された。「1人になって宿舎で泣きたい」が、杉浦のコメント。勝って泣くのって、格好いいね。南海ファンの感激ぶりを思い出す。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『左近、養子(サコンヨウシ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:問題集と組めば、鬼に金棒。