まちゃつの徒然日記

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濱口梧陵

JR天王寺駅から自動券売機で買える一番遠い所、和歌山県湯浅町へ出かける。到着したJR湯浅駅のホームはカーブしているが長大で、12,3両連結で入線しても余裕がありそうだ。鉄道全盛時代の賑わいが偲ばれる。1枚1620円の切符には、平成17年5月4日の印字。旅の目的は、ラフカディオ・ハーン小泉八雲)の小説“A Living God”(生き神様)で取り上げられた濱口梧陵の足跡を訪ねるためである。梧陵(1820年7/24〜1885年4/21)は、千葉県銚子の醤油醸造元(現ヤマサ醤油)の主人であり、湯浅町内の広村出身である。彼がたまたま帰省していた1854年(ペリーが2回目に来て、日米和親条約を締結した年やでー)、安政南海地震が起こった。梧陵は34歳。揺れの後、自宅のある高台から海を眺めると、海水がどんどん沖へ引いていく。低地では、村人らが農作業。(これは大変なことになる!)と考えた彼は、収穫後乾燥させるために積んである稲むらに次々に火を放つ。庄屋が火事だと考えた村人達が高台に駆けつけた直後、低地を津波が襲ったという。これだけなら、機転が利く庄屋の物語で終わりである。梧陵の凄さは、この後に彼が実施した公共事業にある。家屋や田畑を失った故郷の農民救済と防災のため、4年間に4665両の私財を投入。広村が二度と津波の被害に遭わないように、村人を雇い巨大な堤防を築かせたのである。今は、公園となっている堤防上を端から端まで歩いてみた。底部の幅は10m超の堂々たるものだ。梧陵が亡くなって65年後の1946年12/21、広村は再び南海地震に襲われたが、堤防のお陰で被害は軽微だったという。梧陵は、死後を含め実に3回も広村の人々を救った訳だ。「生き神様」と崇められるのも当然か。まちゃつは、醤油を購入する時「ヤマサ」と決めている。



それでは、本日のシャッフルクイズ。


『出石、通信よせ!(イズシツウシンヨセ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:坪内逍遙