まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

大津皇子の墓

「あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに」(あなたを待って山の木々の下に佇んでいた私は、雫に濡れてしまいました。山の木々からしたたり落ちる雫に)大津皇子
「吾を待つと君が濡れけむあしひきの山にしづくにならましものを」(私が来るのを待っていて、あなたが濡れてしまった山の雫に、なれるものなら私はなりたいわ)石川郎女
壬申の乱(672年、天智天皇の長子である大友皇子と弟である大海人皇子が戦った)後、勝利した大海人皇子が即位し天武天皇となる。大津皇子(663〜686)は、その天武天皇の皇子である。万葉集に彼の和歌が収められ、また懐風藻に彼の漢詩が収められていると聞く。天武天皇の死後、大津皇子草壁皇子とともに皇位継承の有力候補だったため、草壁皇子の母である持統天皇によって謀反の名目で処刑されてしまう悲劇の人物だ。大阪から南東に見える二上山(雄岳517m、雌岳474m)に彼の墓だと伝わるものがある。ずいぶん昔だが、まちゃつが出かけた時は山頂が紙くずだらけだった。国定公園が泣いていた。



それでは、本日のシャッフルクイズ。


『ユキ子、胸を貸そう(ユキコムネヲカソウ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:慣用句。追いつめられた弱者が、強者を破ることもある。