まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

命拾い

5歳の誕生日前日の7月25日、朝から雨。日暮れとともに、雨脚が激しくなりひっきりなしに電話がかかる。想像するに、警察本部、村長、役場、消防団等とのやりとりだったか。村内で鉄砲水が発生し行方不明者が出ているとの連絡で、親爺は125ccのバイクで現場へ出かけてしまう。まちゃつは、駐在所玄関を入った執務室に母と一緒にいた。次々にかかってくる電話の応対にかかりっきりの母。3歳下の妹と1歳の弟は、隣の六畳間に寝かされている。家の周りを見る余裕などない。突然、引き戸の隙間から静かに大量の泥水が流れ込んできた。慌てて隣室に避難。畳が暴れている。洪水が押し寄せ、畳を持ち上げようとしているのだ。駐在所は平屋なので二階はない。弟妹を抱きかかえると、母は四畳半に移動。押入の上段に乗せ、「R子とN明をしっかり見ていなさい」と言うと台所に入った。直ぐに停電。何も見えないが、畳を押しのける不気味な音と濁流が上昇してくる気配がする。ロウソクを持って戻った母を見るとすでに腰まで水につかっている。母は、当時仕事についてはいなかったが看護師であり、気丈な人であった。まちゃつは泣きこそしないものの、恐ろしさのため全身が震え始めた。多分、母が勝手口か玄関から外に出て助けを求めたのだろう。どれくらいの時間が経過したのか不明。消防団員が5、6人救出に駆けつけた。「さあ、もう大丈夫」と声を掛けられたが、全身の震えは止まらない。肩車をしてもらい屋外に出ると、水は男性の胸まであった。消防団員の頭にしがみつく。「ぼく、ぼく、おっちゃんの額をつかみなさい。目のところをつかまれたら、おっちゃん前へ進めないよ」なんべん言われても、しがみついたままなので、別の団員がまちゃつの手を肩車をしてくれている人の額に移動させた。周りの団員に笑いが起き、高台に懐中電灯の明かりが見えた時、まちゃつの震えはやっと収まった。
水が引いてから村長のお屋敷に2カ月間居候したらしい。この洪水のインパクトが強烈なので、村長宅での暮らしについては、同じ年齢の男の子が1人いたこと以外何も覚えていない。まちゃつにとっての、昭和32年西日本水害に関する顛末である。親爺は人命救助中に大怪我。怪我が癒えた後、家族全員がパトロールカー(トヨタ・クラウン。テールランプの形状が独特だった)のお出迎えを受け2台に分乗。県警本部で表彰される。死者・行方不明992名。そのほとんどが長崎県で亡くなっている。一昼夜で、ロンドンの年間降水量の1.5倍に相当する、1000mm超の雨が降ったという。亡くなった方々のご冥福を祈るばかりである。



それでは、本日のシャッフルクイズ。
ヒント:災害時にぬけだすには…。


『肥大、用心か?(ヒダイヨウジンカ)』


今度会ったら、答えを言ってね。