明治新政府に対する一揆・騒擾といえば、徴兵令や地租改正に対するものが思い浮かぶ。が、学制に反対するものも少なくなかったという。子どもも労働の担い手だった当時、学校に通わせることは労働力の減少を招く。おまけに学校の設立や維持にかかる費用を押しつけられる。授業内容が欧米のコピーであり、農村の生活実態とかけ離れた内容だったことも拍車を掛けたらしい。一揆の多発に文部省も方針を転換。教育令(1879年)で権限を地方に大幅に委ねることになる。義務教育は8年から4年に短縮。就学期間も場合によっては年4ヵ月、計16ヵ月で済むように改められることとなった。
長時間単純労働低時給
意味あることと誤解する脳
それでは、本日のシャッフルクイズ。
『拳骨封じ(ゲンコツフウジ)』
今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:するべきことを黙々と。