明治31(1898)年、陸地測量部が編纂した2万分の1地形図の続き。
猿山新田集落は、現在の西田辺交差点の南西に位置。その証しだろう。三井住友銀行南側の路地に猿山地蔵が祀られている。集落西側に描かれているため池は後年、「猿山」という名の丘を崩して埋め立てられたらしい。長池町(東成郡田辺町大字猿山25番田)に早川金属工業研究所(現シャープ)が設立されるのは、26年後の1924年。翌1925(大正14)年から大阪市に編入されることを見越しての投資だったか。90年が経過。経営難から本社ビル売却の話が持ち上がっている。たったの40億円とか。だが、イッパンジーが購おうとすれば、ジャンボ宝くじ1等に連続7回当選しても厳しい大金。おいそれと手助けできる額ではない。話は明治31年に戻る。編入後に区画整理が実施されたためだろう。阿倍野区の東半分は、概ね碁盤目模様を呈している。対照的なのは、住高や晴明丘小のある西側。道路は、ほとんど手つかずのまま。邸宅が多く、地価も高い。大阪市も、おいそれと区画整理に乗り出す訳にはいかなかったのだろう。住吉区から分区して阿倍野区が誕生するのは、1943(昭和18)年を待たねばならない。
いつまでも
「十八ッ!」のまま
ウルトラ家
それでは、本日のシャッフルクイズ。
今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:釈迦三尊像。