まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

State of Missouri(6)

コーン(円錐形)カップにアイスクリームを載せて、歩きながら食べるという風俗を生んだセントルイス万博(4/30〜12/1/1904)。収支はとんとんどころか大赤字。収入が約1000万ドルに対して、支出は2400万ドル。イベントとしては失敗だったか。話をアイスクリームに戻し、流行を生んだ背景を探る。コーンカップが“edible”(食べられる)という意外性も売り上げに寄与しただろうが、摂氏40度に達する暑さの影響も無視できない。冷たいものなら飛ぶように売れたはず。実際、同時に開催されたオリンピックのマラソンでは、優勝タイムが歴代最低(3:28:35)を記録している。博覧会の規模も後押しただろう。会場は4.9平方キロ(6400万人超が入場した1970年の大阪万博は3.3平方キロ)。1900年開催のパリ万博敷地の4倍に相当! そこに44の参加国が1500棟超を建設。多すぎの感が否めないが、当時は国ごとではなく、分野ごとの展示方法が一般的。パビリオンの規模は大小さまざま。日露戦争で手一杯だったはずの日本も「美術館」「工芸館」「工業館」など11棟を建設している。因みに、ロシアは不参加。米国内では日本への好感度がアップしたとか。会場内移動の手段は鉄道だったものの、来場者2000万人の最大関心事は自動車や飛行船。展示車は160台に上ったという。車が大衆化するきっかけとなる、T型フォードが発売されるのは4年後の1908年。車に対する米国人の憧憬は、沸騰せんばかりの状態だっただろう。「人間の気力と体力の限界を超えた」と評される、会場内道路の総延長は120キロ。腰を落ち着けて食事などしていたら、ほんの一部しか見られない。食品を手にしてせっせと歩かざるを得なかったというのが真相かもしれない。倒れた人を搬送する救急「車」もまだ珍しい。羨望の眼差しを送る内、気が付けば溶けたアイスで手がべとべと。そんな御仁もきっといた、と想像される108年前である。(まちゃつみたいにぼうっとしてへんでっ、普通は!)


   鉄分を補給したけりゃトレインビュー
   騒音なければ言うことはなし


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『バス停増える(バステイフエル)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:お祭り。