まちゃつの徒然日記

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フォン・ブラウン(8)

大戦末期のヤルタ会談(1945年2月)から米ソの冷戦は始まっていたから、フォン・ブラウンが米軍に投降したことは上層部にとって「良い」知らせだったはず。身柄を確保すべきドイツ人科学者リストの最上位にランクされていたからである。米本土に移った後は、1957年まで陸軍基地(エルパソ北方のFort Blissなら4400平方キロ。山梨県ほどの広大さ)などでロケット開発に従事する。と書けば順調のように聞こえるが、実際はこの12年間は日々忍耐の連続だったらしい。待遇は良いし、命令を待つ部下が数千名というペーネミュンデ時代とは訳が違う。第一、食事が不味い。チキンなど、ゴムでも纏ったかのような味だったという。米人の部下は、Jim Hamill少佐1人。学卒でロケット工学には未熟な26歳。同僚のドイツ人技術者たちが「教授!」と呼びかけるのに、ハミル少佐は馴れ馴れしく「ヴェルナー!」と呼びかける始末。おまけに要求する材料をことごとくはねつけたという。風向きが変わるのは、陸軍からNASAに移籍した1958年。マーシャル宇宙飛行センターの初代責任者(1960年〜1970年)に就任。史上最大のF-1エンジン(9/4/2011付日記に登場)を開発するに至る。60年代の終わりまでに有人月面探査を実施し、安全に帰還させようと議会に求めた、ケネディ大統領演説(下記参照)を実現すべく技術面で奮闘。計画はジョンソン、ニクソン政権に引き継がれ、アポロ11によりニール・アームストロングが人類で初めて静かの海に立つことに。1969年7/20のこと。幼い頃おもちゃの車に花火をつけて遊んでいた、ドイツ貴族の末裔がNASAに入ってこなかったら、人類が月面に到達するのはずっと後の時代になっていただろうと言われている。

I believe that this nation should commit itself to achieving the goal,before this decade is out,of landing a man on the moon and returning him safely to the Earth.”5/25/1961
that接続詞
commit oneself to〜〜に専心する、
before this decade is outこの10年間が終わらないうちに(挿入語句)
of以下は、goalと同格。〜という目標


   雨降れの願い聞いたか雷雲の
   信貴より現れ河内潤う


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『気温次第(キオンシダイ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:焼却施設から検出される。