まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

竹鶴政孝(4)

第一次大戦終結と共に市場は狭まり、欧州は復興。成金の没落が始まる。だが、世の中が不景気でも儲かる会社は必ずある。当時で言えば、赤玉ワインの販売が好調な寿屋(現Sトリー)がそれ。かねがねウィスキー製造に意欲を燃やしていた社長の鳥井信治郎。英国に技術者派遣の可否を問い合わせる。返書では、意外にも英人技術者の代わりに竹鶴政孝を推薦。摂津酒造時代のワイン製造を通じて既に面識があったため、1923(大正12)年、鳥井は竹鶴を10年契約で寿屋に採用する。年俸4千円。政孝は中学教師(月給は百円に満たなかったはず)から大出世。当時の1円が現在の1万円だと仮定すると、年俸4千万円に相当。こんな待遇のサラリーマンは、現代でも少数派。来日すれば、鳥井が英人技術者に支払う予定にしていた金額だったという。蒸溜所の選定から設備の設計・建設・運営に至るまで、あらゆる面を任されるものの、北海道に蒸溜所を建設する案だけは鳥井に断念させられる。輸送費が莫大になるからである。現在、山崎に蒸溜所が存在する理由。(4千円!)という声が政孝の脳裏をかすめたであろう。後にニッカを創業することになる伏線はこの辺りか。1934年に寿屋を退職するまでに、「白札」「赤札」を出荷。横浜工場長など、要職を歴任。だが、SトリーのHPには、竹鶴の「た」の字も出てこない。げに、商売敵とは恐ろしきものなり。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『西瓜、移転(スイカイテン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:座っていても、左右に動く。