まちゃつの徒然日記

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竹鶴政孝

2005年3千、2006年5千、2007年1万2千、2008年1万7千、2009年1万8千、2010年3万3千。主に英仏向けに輸出される、ニッカウヰスキーの数量の変化である。単位はケース。1ケースは12本入り。国内消費は低迷しているが、本場への輸出は5年で11倍に増加。国際的コンクール(WWA)で2007年から連続して最高賞を受賞しているからだろう。竹鶴政孝は、日本ウィスキー生みの親(Sトリー山崎蒸溜所初代工場長)である。品質を極めるため、10年の契約期間後に辞職。北海道余市ニッカウヰスキーを創業している。1894(明治27)年6/20〜1979(昭和54)年8/29。データは、ニッカHP及び日本経済新聞社私の履歴書』からの引用。生誕の地である竹原市は、広島県中央部から南に下った瀬戸内海沿岸に位置。ジャムメーカーのアヲハタの本社があることでも知られる。JR呉線で三原から40分、6つ目の駅。竹鶴家は代々製塩業、酒造業を営む素封家。四男五女の三男として誕生。政孝の実家は分家であったが、暮らしはかなり裕福。次兄が学ぶ、東へ8キロ離れた旧制忠海中学校に通う。当時の制服は、海軍の水兵服と同じ型。胸の赤、黄、緑、青のリボンが学年を表す。前夜に翌日の朝食用と昼食用の弁当を用意してもらい、通学途中の峠で弁当を使う。自宅で朝食をとらないのは、朝が早いと女中の負担が大きくなることに母親が配慮したためという。人使いのツボを心得た金持ちもいるということ。だが、往復徒歩4時間を繰り返す内に過労気味となる。心配した家族が中間地点の福田村に一軒家を借りあげ、二学期から兄と2人の自炊生活が始まる。とは言っても財産家、1週間分の副食物を日曜に家族が届けてくれる。だが、1日に消費する8合の米を毎日炊かねばならない。交代で担当。海が近いため、魚を釣ったり蛸を捕らえたりもする。一番面倒だったのはランプの手入れだったという。火屋(ほや)と呼ばれる火を覆うガラス製の筒に煤が付着する。放っておくと照明器具としての機能が損なわれるから、掃除しないわけにはいかない。スイッチを押せば瞬時に明るくなる電灯。普及率が87%になるのは、1927(昭和2)年を待たねばならない。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『露頭と笛(ロトウトフエ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:単冠(ひとかっぷ)湾がある。