まちゃつの徒然日記

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利休邸跡

安土桃山時代の茶人。信長・秀吉に仕え、現代に続くわび茶の大成者にしてその祖。だが、秀吉の怒りに触れて死を賜う。助命嘆願に奔走する弟子の武将たちを尻目に、申し開きをせずに自刃している。1522年〜1591年。切腹を命じられるくらいであるから、政治力など根本的なところで秀吉と齟齬(そご)をきたすことが頻発したのであろう。茶室の庭園である露地の設えついての弟子からの問いに、利休は鎌倉時代の高僧、慈円の和歌を例に出して説明した。表千家HPから引用。
「樫の葉のもみぢぬからにちりつもる
奥山寺の道のさびしさ」
樫の葉が紅葉しないままふりつもった、深山の寺に続く道のさびしさよ。
こんな世界が「侘(わび)」だと答えたらしい。
最近発見された表千家4代家元、宝左の覚え書き。
「休、一畳半致シ被申候、大甲御意ニ不入候故、二畳ニ致シ…」
利休の造った一畳半の茶室が秀吉には気に入らない。二畳敷きに改めて…とある。茶道の領域にまで秀吉が口出ししている様子が伺われる。
秋の好日、阪堺電車に乗車。利休邸跡に出かけた。チン電の宿院駅から南西へすぐだが、電車通りからは1つ西の筋沿いになる。まちゃつは筋違いに気づかず、宿院からそのまま南下してしまい次の寺地町まで歩いてしまった次第。ちゃんと地図見なアカンで、まちゃつ。1つ西の通りを北へ戻ると、利休邸跡は100坪ほどの更地。石柱と椿井戸が残るのみ。フェンスで囲われており、敷地へは立ち入れない。木炭の材料になるのはクヌギ、カシ、シイ、ツバキなど。井戸の名に「椿」がついているのは、利休が井戸の底にツバキ炭を沈めていたことに由来するらしい。事実であるとすれば、今で言う「浄水器」の役割を持たせていたのかも。ツバキ炭の消臭効果は素晴らしい。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『基本が足りん(キホンガタリン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:悟りを得るため修行を重ねなくとも、阿弥陀仏の力により往生する。