まちゃつの徒然日記

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白瀬中尉

アムンセンやスコットに劣らぬ、我が国南極探検の先駆け。雀の涙程しか出ない国の援助の中で孤軍奮闘した。幼名は知教(ちきょう)。軍人となってから矗(のぶ)と改名している。1861(文久元)年7/20〜1946(昭和21)年9/4。秋田県金浦(このうら)村(現にかほ市)出身。地元で400年続く浄蓮寺住職の長男として出生。寺子屋での学習で北極に関心を持つ。18歳の時僧侶を諦め、陸軍騎兵科に入隊。後に陸軍大将となる秋山好古は2歳年上。22歳で千島探検に参加。カムチャツカ半島南隣の占守(シュムシュ)島で2度に渡り越冬。日露戦争、黒溝台の会戦時に44歳。中尉に昇格。出世とは無縁。予備役編入後の1912(明治45)年、改造木造機帆船「開南丸」(204トン)で南極ロス棚氷に上陸。1/28、南緯80度5分に到達。大和雪原と命名。6/28、死傷者を出すことなく東京芝浦港に戻る。探検にかかった費用の内、4万円近く(現在の2億円)が借金として残る。家財を処分しても足りず、講演をこなしながら返済に奔走。次女が間借りしていた、愛知県の挙母町(現豊田市)で亡くなったという。日本の近代化がもう少し早ければ、彼にも世界に通じる活躍の場があったであろう。辞世「我れ無くも必ず捜せ南極の地中の宝世にいだすまで」。南極観測船「しらせ」の名は彼に因む。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『容姿が象(ヨウシガゾウ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:本人に似ていないとまずい。