まちゃつの徒然日記

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萩城址

萩城は、毛利輝元により1604年に築城される。3重の堀をめぐらし、本丸、二の丸、三の丸の外、指月山には詰め丸まであったらしい。現在残っているのは、一番内側の堀のみ。輝元は、毛利元就の孫、毛利隆元の嫡男に当たる。関ヶ原の戦いでは西軍の主将となる。が、西軍は敗北。改易は免れたものの、120万石の大大名から周防・長門2国37万石に減封。並みの大名に転落した。輝元は居城を何れに築くべきか、3つの候補地(萩、山口、三田尻)を挙げ幕府の裁可を求めたという。本心は、山口が希望だったか? 幕府の回答は、萩。敵を防ぎ味方を守るのに便利な指月山(143m)があるから、という理由だったらしい。外様の毛利氏を山陰の僻地に押し込める別の狙いがあったのかもしれない。1874(明治7)年に廃城令が出るまで、5層5階、赤瓦葺きの天守閣があったそうだ。立派な石垣が残されてはいるものの、やはり建物がないと寂しい。出かけたのは22年前の夏休み。蚊が多いのには閉口した。城跡を東に進むと、現在は明倫小学校となっている、藩校明倫館跡に着く。藩士達が遊泳術や水中騎馬の鍛錬に使用した水錬池は、一見の価値あり。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『我が城よね(ワガシロヨネ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:流域は秋田杉の宝庫。