まちゃつの徒然日記

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ニコライ2世

本名は、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ。ロマノフ王朝14代皇帝(ロシア帝国最後の皇帝)。帝位に就いていたのは、日清戦争日露戦争第一次大戦の頃。ロシア革命時、家族、専属医、女中、従僕と共にウラル山脈東部、エカテリンブルグにて銃殺されている。レーニンの命令だったという。1868年〜1918年(帝位1894年〜1917年)。皇太子時代には軍艦アゾフ号でインド、シンガポールインドネシアベトナム、香港を経由し日本を訪問している。1890年から1891年にかけてのこと。国内の訪問先は、長崎、鹿児島、神戸、京都。1891年5月11日、琵琶湖遊覧から京都へ戻る途中の大津でそれは起きた。人力車に乗っているところを警備中の巡査・津田三蔵に斬りつけられ負傷した。大津事件である。2008年、国内に保存されていた事件当日に皇太子が着用していたシャツが脚光を浴びる。シャツに付いた血痕からDNA鑑定の結果、長男アレクセイと三女マリアの遺骨が確認されたからである。「大義親(しん)を滅す」という慣用句がある。「国家の大事のため、私情を捨てる」の意味だ。レーニンにとっては、初の社会主義革命という大義のためなら、皇帝一家殺害も止むなしだったか。2008年10月1日、ロシア最高裁は「根拠なしに迫害された」としてニコライ2世一家の名誉を回復している。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『行け、行かせん(イケイカセン)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:西太平洋のこれを狙う国が…。